フォト
無料ブログはココログ

« 犬が怖い | トップページ | 自己表現 »

2015年7月 9日 (木)

ワクワクする未来


子供のころはどうして、あんなにも未来が広がっていたのだろうか?子供は何も持っておらず、自分という器が空っぽだ。だからこそ、いつも未来が開けていたのだ。
 
 

こんな禅の公案がある。
 
 

〈趙州和尚が茶碗を洗えと言った話〉
 
色々な寺を廻って、修行を積んでいる僧が、
 
趙州和尚の道場へやってきた。
 
「私は来たばかりの新米です。何か素晴らしい教えを頂きたいのですが。」
 
趙州和尚はそれには答えず、
 
「おまえさん、朝飯は食べたかね?」と聞かれた。
 
「はい、いただきました。」と僧が答えると、趙州は、
 
「それでは茶碗を洗っておきなさい。」と言った。
 
その一言で、この僧は悟りを得た。
 
 
 
我々は、何かを得るのが人生の目的になっている場合がある。この修行僧も、何かを得たくて趙州の道場にやって来た。
 
 
 
お金を得たら、
愛する伴侶を得たら、
 
 
 
人よりいい地位を得たら、
誰も知らないような知識を得たら、
 
 
 
人が羨むような肉体を得たら、
完全なる自由を得たら、etc.
 
 
 
何かを得たら本当に満足するなら、それでいいだろう。しかし、人間は何かを得たら、また次の何かを得たくなるものだ。
 
 
 
これではいつまでたってもキリがない。
いつも何かが足りない、十分な感じがしないまま生きている。趙州和尚はそこを見透かして、自分自身を空にしろと言ったのだ。
 
 
 
これだけ何かを得たにもかかわらず、虚しいのは、
得たものが全部、我々の未来にギュッと詰まってしまったからだ。固定観念ができあがり、そこから見る未来には可能性がない。
 
 
 
逆に何かを手放すようにしたらどうだろうか?
それは自分という茶碗を洗うことだ。
 
 
 
過去の成功体験、失敗体験。
人に対する恨み、つらみ。
 
 
 
意固地になっている自分の主義主張。
他人との比較。
 
 
 
いつまでたっても実行に移さない夢物語。
善悪に対するジャッジ、etc.
 
 
 
余分なものを手放せたら、子供のころのように明るい未来が開けてくる。なぜなら、我々は元々、明るい未来を背負って生まれてきたからだ。
 
 
 
それが大人になるにしたがって、他人と比較して、より多くのものを得ようと競争するようになった。そして未来は見えているが、輝くようなそれではなくなった。
 
 
 
この連鎖は続く。
子供は愛する親の言うことを、一生懸命聞こうとする。そして、それを信じて、何かを得ることに熱中し、ひたすら自分の未来に詰め込むのだ。
 
 
 
今、どんなに何かを持とうとも、未来が閉ざされている人生は幸せとは言えない。
逆に今は何も持たなくとも、未来が開けている人間は幸せである。と私は思うのだが、いかがだろうか?
 
 

« 犬が怖い | トップページ | 自己表現 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 犬が怖い | トップページ | 自己表現 »