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2006年11月28日 (火)

コミュニケーションの二重構造

企業でも何でも人が集まるところで伸び悩みがある時、

そこにはコミュニケーションの二重構造が存在する。

要するに裏と表があるのだ。

東京の新橋はサラリーマンのお父さんの息抜きの場だ。

夕方5時を過ぎるとそこでは「賢人会議」が開かれる。

如何に自分の会社はダメなのか。

如何に自分の上司は無能なのか。

如何にこの業界には希望がないのか。

などなど経済通の人々が議論に花を咲かせている。

一体彼らは次の日、会社でどのような態度をとっているのか?

きっと卑屈に上司に接しているのではないか?

彼が勤める会社の業績はどうだろうか?

聞くまでもあるまい。

このようなコミュニケーションの二重構造があるところに発展はない。

下部構造で深くゆっくりと腐っていくだけだ。

オープンなコミュニケーションが必要だ。

それにはリーダーの器量の大きさが要求される。

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2006年7月20日 (木)

試金石

会社でマネージャーはスタッフに対して評価する。

自分の責任が果たせているならスタッフに寛大な評価を下す。

短所より長所の方が見えやすい。

しかし自分の責任が果たせていない場合、

その責任を部下になすりつける。

すると長所より短所の方が見えてくる。

でも良く考えると、スタッフの短所と見えているところは、

マネージャーの至らないところが露見しているだけなのだ。

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2006年5月17日 (水)

パラサイト

人との距離が近いと集団との距離が遠くなる。

逆に人との距離が遠くなると集団との距離が

近くなるというと必ずしもそういうわけではない。

人とも集団とも距離が遠い人もいる。

自分の生存のために集団に関わる人間だ。

自分の所属している集団を守ろうとする人や、

集団に寄生している人は個人としての人から遠のく。

人を大事にするわけではなく集団の論理、秩序を重んじる。

あくまでバランスが大切なのであるが、

集団の論理、秩序だけに偏重すると自由な自己表現がなくなる。

すると個性が生かされない環境ができあがる。

その中では人は育っていかない。

官僚組織のようになりはてた組織を未来がある若者は嫌うからだ。

冷たい非人間的な組織・集団の末路は高齢化による自滅である。

問題なのはその集団でしか生きていけないパラサイトが

自分の生存のために集団を牛耳っていることだ。

集団は生き血を吸われてやがて弱体化する。

結局は寄生虫も死んでしまうわけであるが、

ノミやダニにそんな論理が通じるわけもない。

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2006年5月14日 (日)

感謝

昨日はノンバンクの営業社員のトレーニング。

みんな会社のことを考えている人たちだ。

午前10時から午後6時までの一日コースだったけれども、

やることは盛りだくさんだった。

全身全霊で参加者と関わり続けた。

やることとしてではなく、志として彼らに関わった。

最後に感想を一人ずつ話してもらった時に、

大方の人が、「本当言うとあまり期待していなかった。

でもこれほど自分に変化があることに驚いている。

明日から仕事がもっとできる気がする。」

と言っていた。

自分が自分でいられることの素晴らしさ、

そしてそこから人を励ますことの力強さをみな体験したようだった。

心地よい疲れのために帰宅してすぐ眠ってしまった。

こういう形で人に関わることのできる光栄さに感謝している。

そして丸ちゃんに感謝。

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2006年5月13日 (土)

個と組織

今年の3月に社員研修の会社を立ち上げた。

その人ならではの素晴らしさを引き出し、

個が組織の中に埋没することなく輝き、

その複数の個が一つの目的のためにベクトルを合わせる、

そんな企業を構築することを目的としている。

個人も輝き、組織も輝いたなら素晴らしいと思うのだ。

そういう状態でこそ何かを達成できると思う。

個と組織のバランスが重要であり、それが安定にもつながる。

私の問題なのだが、どこまで人のためにやれるかと言うことだ。

主人公はあくまでクライアントである。

時々人のために何かをやることが空しく感じることがある。

でも私の人生の目的、いわゆる「天命」を見てみると、

人を救うことであることであることは明確なのだ。

どこまで自分を空しくして人のために生きていけるかが

私の人生の大きなテーマだと思う。

いつもチャレンジングに人に接する必要がある。

人に交われと天が私に命令してきているような気がするのだ。

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2005年12月 3日 (土)

夫婦仲と仕事の関係2

ある企業で営業をやっている人の話。

一生懸命働いて、夜遅くに帰る。

すると奥さんが待ち受けていて、

隣の奥さんの話だとか、幼稚園に通っている娘の話だとか、

同居している義母の話だとかを延々聞かされる。

なんでこんなに自分は頑張っているのに、

妻は自分に苦情を申し立ててくるのだろう?

それが分からない。

だから適当に相槌をうったり、テレビを見たり、

眠った振りをしてりしてやり過ごすことにしているという。

すると奥さんはやっと話すのを止めて自分を解放してくれる。

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2005年11月30日 (水)

夫婦仲と仕事の関係

夫婦の関係がどの位仕事に影響しているか気づいていない人が多い。

多分「仕事とプライベート」という区別があるからではないか。

仕事がうまくいかない人は家庭でもうまくいっていない人が多いように感じられる。

お互いに力づけあう関係にないと仕事が滞る。

特に男性の場合は仕事の目的が「妻と子供を幸せにすること」と

考えている人が多い。

その幸せにする対象と不仲であれば仕事への

モチベーションは下がっていくのは当然である。

妻を幸せにしたくて、朝早くから夜遅くまで働き、

結局奥さんに文句を言われ、何のために働いているか

疑問に思っている男性は多いのではないだろうか。

仕事がハードになるとそれに比例して夫婦仲が悪くなることが多い。

次回もこのことをテーマにしていきたいと思う。

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2005年11月10日 (木)

責任

責任には2種類ある。

ひとつは「アカンタビリティ」。

「説明責任」と言われるもの。

簡単に言ってしまえば、仕事で取る必要がある責任のこと。

これを放棄するとペナルティがある。

もうひとつは「リスポンシビリィティ」。

これはもっと広範囲の責任のこと。

「そのことを自由に動かしえると人が選択する範囲」

とでも言えばよいか。

例えば隣の家の子供が火遊びをしていたとする。

関係ないと放っておくこともできる。

つまり責任がないと言える。

またその子に注意してそれを止めさせることもできる。

この場合責任をとったと言える。

結果自分の意志をその子の行動に反映させることができた。

どちらでも選択は自由である。

しかしこの種の責任はとればとるほど

自分の自由にできる範囲を広げることができる。

職場でも同じ。

責任をとろうと思えば自分の自由にできる範囲を広げることができ、

責任を取らなければそれは狭くなる。

狭くなれば人間「愚痴」が出るものである。

愚痴ばかり言っている人間をよく見てみると

何も責任をとっていないのがわかる。

そして人がよくやるのが、「愚痴」や「陰で批判する」ことで

まるで責任をとっているかのように振舞うことである。

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2005年11月 8日 (火)

天職

仕事が楽しい時がある。

また辛くて辛くてしょうがない時もある。

ある人に言わせるとそれが「天職」の特徴だとのこと。

クライアントのことが頭から離れないことがある。

まるで自分自身の問題のように感じ、

何とかせねばならぬと思う。

真剣だからこそ悩むのだろう。

それが辛く感じる。

ここまで入れ込むことができる仕事なので、

やはり自分の「天職」なのだろうと思う。

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2005年10月26日 (水)

目的と目標とビジョン

なぜ人生において「目的」が必要なのだろうか?

私は企業のビジョンメイキングにおいて、

参加している社員の方にこういう質問をする。

「どなたか今年の夏に旅行に行かれた方はいらっしゃいますか?」

数人の人たちが手を上げる。

その中の一人に尋ねてみる。

「どちらへいらっしゃいましたか?」

「伊豆の海に行きました。」

「何のために行かれたのですか?」

「日常から離れて妻とゆっくり過ごすためです。」

「伊豆の海に行く」というのが目標であり、

「日常から離れて妻とゆっくり過ごす」というのが目的である。

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